生きていると世の中は「うそ」「矛盾」だらけであることに気がつく。
騙しや偽装も横行している。案外、気がつかない方はいいことも数多い。
「当たり前」「普通」「しっかりしている」「ちゃんとしてる」・・・これは簡単なようで難しい。

例えば弊社の昔から使用している「ミニローリー」。電動でポリ缶に給油できるのだが、
これにも「計量法」というものがあり、しっかり検査や合格証もある。
何万と経費もかかるのだが、法治国家にて脱法は自分としてのスタンスでは許されない。
勿論、他社がどうこうは関係ない。私は「当たり前だがちゃんとしてる」
他の業種の事はわからないが、私の「商い」はちゃんとしている。
だから「ちゃんとしてる」人に認められ、「ちゃんとしてる」人も私自身尊敬している。

検査合格で販売使用可能。まあ、たいして使わないが(笑)。そのうち軽トラにでも積載して商いしようか。
この歳になってくると色々な会社の「顔」、人間の「質」が見えてくる。
私にとって尊敬できる人間、出来ない人間、これは歳の積み重ねは全く関係ないこともわかっている。
「いい人のまわりにはいい人が集まる:類は友をよぶ」まさにこれだ。逆も当てはまるから恐ろしい。
「店のいい雰囲気のお店にはいい社長がいて、それを慕ういい従業員がいる。」
商売しながら生きているなかで、いつも私の「直感」が働く部分だ。

先日、とあるお店に食事に行った。接客マナーがバイトまでしっかりしており、
何より個人のスキルや意識が高い。これは上の人間の人材がいいということであり、味にもつながる。
会社の「顔」も見えてくる瞬間だ、面白い。
子連れ仲間もいたこともあり、遠慮がちだったのだが、優しい対応かつエアコンを調整するナチュラルな対応。
後日、お礼状を書いた。
それは「店」「客」を遥かに超えた、人としての「尊敬」「感謝」の表れだ。
私が嫌な店というのもある。「店」と「客」の最低限の境界を食み出してしまう店、人。
知っているのか友達なのか先輩なのか後輩なのか、そんな事は関係ない。
お金を取らないのならどうでもいい。そういう「会」の集まりならどうでもいい。
しかしそこで利潤が生まれるのであれば「商売」としてのプロ意識を持たなくてはならない。
飲食店によく見られる光景でもある。
私は飲食ではないが、口には出さないが「仕事をなめんな」こう思って店を跡にする。
「とっちがダメだなぁって店、結局無くなるなぁ」先ほどこんなコメントをもらった。
私が思う以上に「ちゃんとした人」たちは当然思っていることである。
「もう一度行きたい店」。いやそれも良いが、私は「応援したくなる店・人」これに尽きると思う。
「品」「値段」ではない、「人」「人柄」こそが命。他は後から付いてくる。
ちょっと生意気綴ってみた。それも「トッチログ」。
Totti
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- 2012/03/22(木) 08:02:27|
- 仕事
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