みんな聞いてくれ、俺には今年98になるじーちゃんがいるのさ。
大正生まれで本田燃料の創業者さ。今は朝晩わからない、わかることって言えば銭と俺の顔だけさ。
ときどき死んだ親父と間違って呼んだり、急に経営哲学を話したりする。

耳にたこが出来るほど言われた言葉があるのさ「自分の飯は自分で稼げ」って。
祖父は「お前は直系の跡取りだ」「トッチが1番可愛い」「全部やる」と言ってた反面、
「商いは自分の分は自分で稼ぎ、親方や周りの分も稼がなくてはならない」「お前は使用人だ」
こんな厳しい言葉、そして実際に自分の顧客を掴むまで給料をほとんどくれなかったよ。
そんなじーちゃんは「家族」。思い出はたくさんある。
町内会長だったじーちゃんから見れば今のここいらの人は「ハナタレ小僧」(笑)。
そのハナタレな強者たちが今、俺の面倒を見てくれている。そんな俺は赤ん坊だ。
鮨屋、小料理屋はもちろん、二人でライオン、山福、百留屋、お京、コマ、ミカド・・・思い出は尽きない。

じーちゃんはコンスタントに2日に1升空ける「酒豪」で有名だったよ。
ススキノから帰ってきたとき、真冬そのまま路上で寝て凍死寸前だったこと、頭から噴水のような出血など
なかなか面白いひとだ。俺はこの血をかなり引いているかもしれない(笑)
毎晩ススキノで行方不明ながらしっかり寝床に着き、俺の朝ごはんは「寿司折り」が恒例。
お弁当に持っていったこともあったなぁ。今思えば、嫁に当たる母さんが1番苦労してたなぁ・・・。

こんな写真が出てきた。北海道神宮祭の写真だ。俺はお稚児さん?とかでじーちゃんと一緒に。
その時代の札幌中のじーさん達(経営者)に可愛がられ、今でもその下の世代にご指導を受けているのさ、
今考えたら、北斗の拳のケンシロウではないが、「宿命」なのかもしれない(笑)。
雑魚キャラにはなりたくないなぁ・・・。

まあ、そんな話だよ。じーちゃんが何年生きられるか分からないけど、せっかくのトッチログなんで
書き留めておきたくてさ。俺が今この世に生きてられるのもこの人がいるおかげだしな。
息子、娘、周り、家族、外・・誰が何と言おうと俺が「継承者」。
じーちゃんが「とっち、松下幸之助さんじゃないが「知識なり才能なりは必ずしも最高でなくてもいい、
しかし熱意だけは最高でなくてはならない。」熱意が全てを動かし変えていくものだよ。お前は、
この世に、お前の周りにそれを伝えていく義務がある」と。
・・・俺はケンシロウだ。
じーちゃん、・・・なんか涙が出るぜ!!
TOTTI
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- 2012/01/23(月) 17:39:26|
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