嬉しいことがありました。 僕の娘が目指していた高校に合格しました。
名前はもも。 ドイツ作家ミヒャエル・エンデの児童文学作品から名付けました。
慎重で怖がり。 とても頑張り屋さんで心がまっすぐで優しく育ちました。

・・・とても感動してます。 嬉しくて仕方がありません。
だって、自分には出来なかったことが、娘は実現したんですもの。

今宵は酔いながらチログを綴ります。
我が出過ぎたら、ごめんなさい。 親ばかだと思って。

先日、卒業式にも参列しました。
もう15歳か・・・。 長かったような、あっという間のような。
20代ソコソコで娘を授かり、その頃は仕事よりも、まだまだハンドボールに夢中だった。
同じ時期に大学のコーチも引き受け、ハンドの指導後、教え子たちを自宅に呼んでは酒盛りをしてた。
後輩たちに絵本、おむつ、育児を手伝ってもらったり。

試合会場にも連れてったり。 やっぱり運動選手って、子に見せたくなってしまう。
でも、本人はあまり記憶にはないそうです。 家で飲んでた後輩たちは「ももちゃん」と覚えているのに。

彼女に聞いてみました。 パパとの記憶で何が1番残っている?って。
そうしたら、「自転車の補助輪を外す練習の時、かなりのスパルタ教育だった」こと。
「小学校の時、一緒に新さっぽろまでサイクリングの時、飛ばせ飛ばせ!と、坂道で加速しすぎて事故を起こした」こと。
「中学校のマラソン大会の練習のため、真駒内公園でのマンツーマンでの厳しいタイムトライアル」。

聞いてみると、熱血スポーツ指導ばかりで、勉強の話は一切出てきませんでした。
それでも、自転車にしても、マラソンにしても、全て結果が出たことには感謝できたって。
今の僕が毎日コツコツ積み重ねてトレーニング積んでいる姿も、実は受験勉強の励みになってたそうで。

努力は必ず報われる。 報われない努力は、それは努力とは呼べない。
そんなことはないと思うけど、でも、僕は娘の頑張っている姿を本当に見てたし、絶対大丈夫だという自信もあった。
資生館小学校を卒業して、中学校に進学するとき、私立を含め、たくさんの選択肢を与えた。
丁度、僕もPTA役員になった頃で、他の役員の保護者は私立や、住所を移して別の中学校へ行く人もいた。

僕も通ってた中島中学校。 進学や環境を考えると、その名門を敬遠する役員の親が多かった。
それでも娘は、「ももは中島中学校行くよ。 パパも通ってたんでしょ」と。
・・・今思っても、あの時自分で選ばせて良かったなぁ、と。
正直、嬉しかったなぁ。

娘の合格した結果を、別の中学校へ行った、あの頃の役員さんや保護者の人たち
そのうち、噂で耳に入るでしょう。 中島中学校いいね!
今回卒業のみんなも、これからは同窓で、みんな後輩だ!

人は、自分をしっかり持っていれば、どんな環境や境遇でも、
その中で精一杯生きることができるし、生きなきゃならない。
そして、同じ学び舎で過ごした同士はかけがえのない存在でずっといたい。
さあ、来月からそれぞれが新しい1ページを開く。
トッチ先輩も頑張るよ! 娘、そしてみんなも
熱く生きれ!!
Totti
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- 2016/03/17(木) 21:53:59|
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